

上里聡 矯正歯科医 双子座
受賞等
- 平成22年 日本顎咬合学会優秀発表賞受賞(口演の部)
- 平成22年 日本顎咬合学会優秀発表賞受賞(ポスターの部)
所属学会等
主な講習会歴
- 2000年 Charls H. Tweed Course修了(Tucson Arizona USA)
- 2004年 Charls H. Tweed Course修了(Tucson Arizona USA)
- 2005年 Roth/Williams Course修了
- 2005年 Harvard University Special Residency Course修了 (Boston MA USA)
- その他多数の講習会を受講
これまでの生い立ち
こんにちは。こうざと矯正歯科クリニックの上里聡です。
少しでも私のことを知っていただくために、自己紹介をさせていただきます。
私は、昭和47年5月30日、大川郡寒川町(現さぬき市)の大川病院(現さぬき市民病院)で生まれました。生まれてしばらくして、父が大学病院勤務をしていたため、名古屋市名東区西山本通で乳児期を過ごしたそうですが、その頃の記憶は全くありません。
私の記憶があるのは、坂出に帰って来てから、3歳ぐらいからになります。すぐ近くの坂出保育園に通いましたが、先生に怒られて物置に閉じ込められたり、友達とおもちゃの乗り物でケンカしたり、友達の家に一人で遊びに行ったりなどの記憶があり、やんちゃな園児だったと思います。
その後、坂出ルンビニ幼稚園に入園しました。そのころから自転車を乗り回し、当時は人通りの多い坂出商店街を走り回り、勝手に友達のところまで遊びに行って怒られるという子供でした。
卒園してからは、坂出市立東部小学校に進みました。勉強はほとんどしませんでしたが、なぜか成績は優秀でした。学級委員も何回か選ばれました。運動も大好きで、水泳は記録会に出場。スポーツ少年団では、少林寺拳法をやっていました。また、私はテレビがとても好きで、至近距離から毎日見ていましたので、とても目が悪くなってしまい、小学4年生からメガネをかけていました。決して勉強のしすぎで目が悪くなったという訳ではありません。
楽しかった小学校生活が終了し、友達が東部中学校に進学する中、私は丸亀の大手前中学校に進学しました。大手前は県内外から優秀な同級生が集まっていたため、成績は一気に120人中100番まで落ちてしまいました。その時はものすごくショックでした。
それ以来だらだらと中学生活を送り、成績は良かったり悪かったりで、そのまま高等学校に進学しました。しかし部活はがんばった方で、在学中は剣道二段に合格しました。また居合道も剣道の合間に行っていました。相変わらず勉強はほとんどしなかったのですが、高校3年の時に、やっとあわてて勉強をはじめ、ぎりぎりで愛知学院大学歯学部に合格することができました。
名古屋で一人暮らしをはじめ、大学生になったら、勉強するようになったのかというと、あいかわらずだらだらと生活をしていました。大学でも部活はがんばっていました。陸上部と軽音楽部を兼部して毎日忙しい日々を過ごしていました。お金もないのに、居酒屋へ行き、先輩や病院の先生を待ち構えておごってもらったりしてもらっていました。
勉強の方は高校の時と変わらず低空飛行でしたが、臨床が始まる5年生ぐらいから勉強が楽しくなり、自分からまじめに勉強するようになりました。国家試験前は一日12時間勉強していました。今はそんなに長い時間は勉強できません。当時は歯科医師になるためにとてもがんばっていました。
卒業後は、歯科矯正学講座専科専攻生として大学に残りました。当時は矯正歯科医になるつもりはなく、普通の治療もしていました。特に野原栄二先生には大変お世話になり、インプラントを含め、歯科治療について素晴らしい知識と経験を学ばせて頂きました。矯正治療については、大学だけではなく、矯正歯科の先生のオフィスを見学し回っていました。酒井優先生のオフィスでは、いろいろな考え方や治療を学びました。そして嘉ノ海龍三先生のオフィスには毎週名古屋から通い、臨床について様々な素晴らしい勉強をさせていただきました。また多くの友人にも恵まれることになりました。
医局員2年目になった時、大学でやるべきことは研究だ!と思い、大学院に進学しました。大学院では、顎運動や咬合力の研究をやっていました。顎運動は研究だけでなく診断にも直結し、とても面白く楽しく研究をしていました。
妻博世とは、大学院に入る前年の11月に結婚しました。私は大学院生で、妻は病院の口腔外科の嘱託医。しばらくは妻の収入で暮らしていました。途中2年ほど多治見市民病院に赴任し、毎日大学へ車で通っていました。
また大学院の時は、海外の大学にも訪れました。UCSF、ロマリンダ大学、ボストン大学、バーバード大学、トロント大学、インディアナ大学、アリゾナ大学など、とても貴重な経験をたくさんすることができました。また海外の講習会や学会も積極的に参加していました。中でもツイードコースでは海外の友人もでき、とても楽しかった思い出があります。
また、フィリピンでのボランティア歯科診療も5年間行っていました。日本人のお口の中とは全く異なる状況で戸惑いましたが、これが世界の現状なんだと認識しつつ、我々でなんとかしないといけないという使命感を持って活動していました。
大学には6年間在籍し、平成15年に香川に帰ってきました。大学院4年目の11月に長女眞由が誕生し、学位授与式には、家族で出席しました。
帰って来てからは、父と祖父と一緒に診療していました。祖父は既に亡くなっていますが、とても良い思い出になっていますし、祖父も喜んでいたと思います。
私が香川に帰って来たことはいろいろな方面に伝わったようで、香川県立中央病院の三次正春先生から連絡があり、毎週月曜日は口腔外科に通うようになりました。私は主に手術室におり、顎変形症の骨切りや、腫瘍の手術をしていました。今は忙しくなりなかなか行けませんが、いろいろな先生と出会い、とても良い経験をすることができています。
また、今は普通の矯正治療となっているインプラント矯正については、早くから行っておりましたので、学会や講習会で全国各所にて講演をさせていただきました。韓国の先生方と知り合ったのもこの頃です。
平成17年12月に東京臨床出版から「頭蓋顎顔面領域における骨延長術」という本を出版しました。まとめるのには大変な時間と労力が必要でしたが、素晴らしい一冊にすることができました。ご協力いただいた諸先生には感謝の気持ちで一杯です。
平成21年に、室町の診療所から、矯正歯科専門クリニックとして駒止町に移転しました。優秀なスタッフにも恵まれ、平成22年10月には、私の二冊目の著書となる、「歯ならびで、自分を変える。世界も変わる。」を出版するに至りました。いままでいろいろご助言をいただいた先生方、そして共同執筆に携わってくれたスタッフに心より感謝いたします。
今、矯正歯科医として矯正治療に携わっていて、うれしい瞬間というのがあります。それは、治療終了時、患者様が最初の模型と写真を見て、過去に驚き、現在を喜んでいる顔を見た瞬間です。
そして、かつて患者さんだった方から「先生に矯正してもらっていたから、歯に興味が出て衛生士になったんだよ!」と言われたときはとてもうれしかったです。彼女は現在名古屋で歯科衛生士をしています。また、「いつもありがとうございます。先生は優しくて大好きです」と障がいを持った女の子からのお手紙をいただいたこともありました。
矯正歯科というのは、普通の歯科医院とは少し異なります。歯を削って詰めてという治療はほぼありません。きれいな歯並びになりたい、という夢を叶える素敵な治療なのです。だから、「あっ!せんせーだ!こんにちはー!」と女の子の患者さんが毎回走ってきて足下に抱きつかれ、チェアまで手をつないで歩く。そんな瞬間もあります。普通の歯医者さんではありえませんよね。
「より多くの人にすばらしい人生を歩んでいただきたい。魅力的な笑顔、年老いるまで自分の歯でおいしく食事ができ、健康に生活して欲しい。そのために細かいことをチェックし、いろいろな楽しいことを話し合いながら治療していきたい」と思いながら、日々診療をしています。園児からお年寄りになるまで、その人のライフサイクルを全て診ていくことができれば良いな、と考えています。
毎日忙しく診療に携わっていますが、坂出市 こうざと矯正歯科クリニックに出会えてよかったと思っていただける患者様が少しでも増えるように、全力の治療を心がけています。






